歴 史
刀剣会発起ノ趣旨
本邦刀剣鍛冶ノ術アル尚イ哉。古史載スル所天目一箇、天真浦、川上部、八十手ハ邈タリ、
得テ考フ可カラズ、大宝令ニ軍器ヲ作ル者年月名字ヲ鐫ムノ制アリ。是ヲ以テ天国ノ製作得テ徴スベシ。爾来凡ソ一千二百年、師伝相承ケ心法相継ギ、其ノ道統血脈自ラ数派ニ分レ、法沿革アリ式異同アリ技術精麤アリ品格汚隆アリト雖、之ヲ要スルニ時運ト共ニ消長シ世道ト共ニ変遷セザルハアラズ。而シテ変遷ノ顕著ナルモノ凡ソ四期ト為ス。大宝ヨリ元暦ニ至ル第一期ナリ、元暦ヨリ建武ニ至ル第二期ナリ、建武ヨリ慶長ニ至ル第三期ナリ、慶長ヨリ明治ニ至ル第四期ナリ。
第一期ハ即チ気象渾厚荘重典雅、古備前及宗近、安綱父子ノ如キ、巧ニアラズシテ自ラ巧、美ヲ求メズシテ自ラ美ナルモノ、是レ技ノ極ナリ。第二期ハ即チ一文字ノ華瞻、青江ノ壮麗、粟田口ノ奇峭、正宗師弟ノ雄深勁抜、皆奇ヲ窮メ変ヲ極ム、古今ノ能事此期間ニ尽クセリ。第三期ハ即チ気象衰颯野鄙粗拙ニシテ、備前ノ三光、美濃ノ両兼、其余二三子僅ニ実用ニ適スル者ノ外復タ言フニ足ラズ。蓋シ室町氏一統ノ後風俗侈靡士気地ヲ掃ヒ、抹茶猿楽ヲ以テ武門ノ娯楽ト為シ、遂ニ深ク意ヲ斯技ニ用ヰズ、之ニ加フルニ鍛法亦一変シ、工人自ラ簡捷ヲ競ヒ、直ニ市場ノ製鋼ヲ買テ之ヲ製作シ、復タ自家秘伝ノ鋳煉ヲ加フルコトヲ為サズ。是ヨリ以後年所ヲ経ルニ随ヒ、祖法師伝廃絶湮滅終ニ復タ知ル可ラザルニ至ル。豈深ク惜マザルベケンヤ。豊臣氏尚武ノ余大ニ鍛冶ヲ奨励シ、西陣堀川ノ徒因テ以テ文祿、慶長ノ際ニ崛起ス。其ノ余波寛文、延宝ニ及ビ、名工巨匠彬々輩出シ、一時盛を極メ、元祿、享保ニ至ルマデ其ノ余沢猶ホ存ス。唯恨ムラクハ繊巧靡麗華実相称ハズ、古法ヲ距ル益々遠シ。文化、文政ノ際ニ及ビ、水心子正秀ナルモノ古法ノ久シク廃絶セルヲ歎キ、研鑽工夫殆ンド四十年を積ミ始メテ古法ノ一端ヲ発見シ大ニ復古ノ説ヲ唱フ。天保、弘化ノ交直胤、清麿ノ徒其ノ後ヲ継ギ盛ニ之ヲ鼓吹シ、四百有余年廃絶ノ真法漸ク再ビ世ニ明ナラントス。而シテ幾モ無ク明治ノ廃刀令ニ逢ヒ、天国以来ノ妙技此ニ至リテ復タ用ヰル所ナキニ至ル。
爾来今日ニ至ル僅ニ三十年間、海内幾百千ノ鍛工日ニ月ニ零落離散シ、僅ニ存スルモノモ亦老テ後ナカラントス。此ノ如キモノ独リ鍛工ノミニ非ズ。研師、鞘師、柄巻師ノ徒老練ノ名手年ヲ逐テ凋落シ、子弟ノ復タ其ノ業ヲ継承スル者アラズ。若シ今ニシテ之ガ保存ヲ謀ルニ非レバ、各種ノ工人其ノ師伝秘訣ト共ニ漸絶湮滅スルハ今ヨリ数年ノ中ニ在ラン。我邦千有余年ノ工夫経験ヲ以テ大成シタル宝器妙工、豈此ノ如ク棄テテ顧ミザルノ理アランヤ。吾輩窃ニ之ヲ憂フル久シ。因テ茲ニ別記ノ方法ニ依リ之ガ保存ヲ計ラント欲ス。海内同志ノ君子、願クハ我国固有ノ宝器独特ノ妙技ヲ保存スルノ趣旨ヲ以テ本会ヲ讃成シ、奮テ加盟アランコトヲ懇切希望ノ至ニ堪ヘザルナリ。
発起人(次第イロハ順)
岩井易清 |
今泉六郎 |
坊城俊章 |
岡本貞烋 |
片岡健吉 |
谷 干城 |
宗 重正 |
野口 褧 |
俣野景孝 |
松浦 詮 |
有地品之允 |
西郷従道 |
宮地厳夫 |
岩崎彌之助 |
今村長賀 |
別役成義 |
川村景明 |
神田恩胤 |
田中光顕 |
長岡護美 |
大迫尚敏 |
松平頼平 |
寺村富栄 |
浅田正文 |
榊原浩逸 |
関 直彦 |
犬養 毅 |
一木喜徳郎 |
小野義真 |
片岡利和 |
龜井英三郎 |
田口卯吉 |
野津道貫 |
山田美稲 |
松平正直 |
寺内正毅 |
朝吹英二 |
三宮義胤 |
沿 革
明治33年8月、斯界の最高権威今村長賀先生の提唱によって創立。
本部事務所を東京・九段3丁目 靖国神社境内、遊就館内に置く。
明治34年11月、第1回総会を開く、会頭並に副会頭を推挙、以来毎年1回総会を開く。
明治38年より、宮中より御内帑金千円也下賜。
発会以来鑑定、研究会の例会を毎月1回靖国神社境内能楽堂に於て開催。
技術者養成規則により、刀匠、研師、鞘師、白銀師、柄巻師等を逐次養成、宮中より御下賜の御内帑金の一部を以て養成費となす。
成業者に成業証書を授与し、昭和20年までに成業者20数名に達す。
全国各地に逐次支部を設け発会の趣旨遂行。
皇太子、親王の御守刀並に宮家の御太刀等の選定及び御外装等の監製。
元帥刀、陸海軍御賜軍刀の選定、鑑査。
一般刀剣類並に附属美術品の審査を行い、証明書を発行。
刀剣会誌を毎月発刊して会員に頒布。
(昭和20年12月、第526号を発刊以後終戦事情により休刊)
図書の出版(刀剣研究書並に銘鑑類の出版物)
土屋押形、古今鍛冶備考、享保名物帳、日本刀本質美にもとづく研究、日本刀禅的鑑賞、
日本刀関七流、其他。
昭和20年8月、終戦により遊就館解散に付、審査員小倉惣右衛門に一切の事務を依嘱。
昭和20年10月、審査員山岡重厚、会頭代理となり、一切の事務責任を負う。
昭和22年4月、会頭・山内豊景侯爵の命により一切の事務並に会計を小倉惣右衛門より山田英引継。
昭和23年より定例鑑賞・研究会を再開、山田英没後も有志諸賢集いて本会の命脈を護持し現在に至る。
昭和45年3月、刀剣会誌復刊。昭和49年3月、再休刊。
昭和63年9月23日~25日、真美日本刀展を秩父神社にて開催。