日本刀の魅力

 現在、日本刀は危機的状況にあります。正確に理解できる人がいないためです。世間で有名な刀であっても必ずしも名実一致せず本阿弥家の定めた位列、決して正当ではないのです。しかし、一般の鑑賞会は本阿弥家のおきて鑑定を基に刀を見、あて鑑定を主としており、真偽に問題のあるものも少なからず出陳されているように思います。それゆえ、間違った方向に束になって進んでいるのが現状のように感じられます。低い鑑賞眼、更に商的な心で見られ、不必要に研がれる刀はどんどんその尊厳な価値を引き下げられてしまいます。このままでは日本刀を護り、正しく伝えていくことができません。

 今、求めるべき日本刀の研究は本阿弥家の掟鑑定に縛られず、純粋な心で真正面から刀を見、本質美の鑑査を基本とし、正しい鑑賞眼を開くことです。しかし、なぜ今、日本刀なのか?と思われる方も多いでしょう。純然たる日本文化と呼べるものは数少ないものです。そんな中で国粋文化の頂点にあるのが古刀、中でも古名刀だと思っています。刀を鑑賞するとは刀を通じてその作者の人格・力量に触れることです。だから刀がわかった分、自分が作者の心境に近づけるのです。これを味わい、楽しむことこそが生きがいであり、人生を悔いのない最高のものにする至極の贅沢であると確信しています。正しい鑑賞眼を養うことは人格を向上させる道でもあります。ですから、人生の価値・意義を知る手本として、刀は絶対必需品であると考えます。刀を勉強したら境地が高くなり、その高い境地から刀を見、更に人生を見ることに意義があるのです。とはいえ、私もまだまだ修養の途上ですから漠然とですが、人生において絶対と確信の持てる道の入口に立てたことは実に幸せなことだと思うのです。

 日本刀というと、恐ろしい、人を斬る、ギラギラした、などと血なまぐさいイメージがあり、近づき難い人もいるかもしれません。しかし実際はまったくの正反対で、現存する日本刀のごく一部である名刀の崇高美は人心を清める温かで優しい慈しみの光に満ち溢れているのです。正に戈を止める武器なのです。この至宝を護り、真実を伝えていかなくてはならないと強く思います。

 愛刀家や刀に携わる人達は、何が何でも絶対、従来の邪法から脱出しなくてはならないし、刀と縁のなかった人にも是非その素晴しさを知って頂きたいと願うものです。

山田 知代